なんで写真が馬?
その理由は記事の中で触れます。
おはようございます。ゲームが仕事の
フリーゲームプロデューサーうきょうです。
今実際に担当している仕事の1つに
教育をゲーム的な感覚で楽しく学べるようにしたい
仕事をゲーム的に没頭できるように工夫したい
というプロジェクトに関わっています。
結論から言うとそういう仕掛けはできます。
ただ、本日はそういう話ではなく、
なんとなく、綺麗事を優先して生きていると、自分もチームメンバーの首も絞めることに気づいた話を書きます。
これ、誰がやりたいことやねん?
昨日あるチームメンバーと話をしていました。
今回は自分自身が持ち回りでファシリテートをしているので、司会をやってたのですが、ドキュメントを振り返っていてチームメンバーに伝えました。
「6月にやる新規事業プロダクト内容ってこれでいいの? 誰も企画出さないから自分がやる企画になりそうなんだけど、そもそもこれ、俺やる気ないっす」と言ってしまった。
まず、前提として、私のチームはティール組織を採用しているので、「プライベートとして抱えている感情でもネガティブがリソースになる」というカルチャーで仕事をしています。そして誰が何を担当してもいいようになっています。報酬も自分たちで決めるので、やりたいことはやらないでいいんです。
だから、必ずそれぞれが感情をシェアしやすい環境があります。
で、今回は新しい企画に対して意見が出てこなかった理由もなんとなくわかってきたわけでした。
その時に1つ大事なことに気付きました。
「誰かのために」を無意識で優先しすぎていて、自分やチームがやりたいことにフォーカスをしていなかったこと
これ、いろんなところですごく弊害になっていました。
話を戻しますと、仕事をゲーム的に没頭させる仕掛け、教育をゲーム的に没頭させる仕掛けや企画って、それはそもそもやりたくない人がターゲットとして据え置いていたことが間違いだと気付きました。
そもそも、イギリスのことわざにあるように
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない
わけです。
そもそもやる気のない人たちをやる気にさせようっていう発想がチーム全体の士気も、自分自身の士気も落としていたことで、無難な企画に成り下がっていた。
なんでやる気がない人に対してそもそも努力しないといけないんじゃと。
違う。
やる気がない人たちに興味を持ってもらって、いざ「やりたい!」と思える人たちの背中を押して上げることや、「やりたい!」という気持ちをより高める人たちのための企画を考えた方が自分たちも楽しくならないかなと。
満場一致。
そもそもマーケティング的な発想でも、やる気のない人をやる気にさせるのはめちゃくちゃ苦労するし、コストが馬鹿高くなる。
ゲームの集客も一緒で、やる気のない人にこれめちゃくちゃ面白いからやってくれとメーカーが宣伝するのはコストが高まりやすい。
やる気のない人や購買意欲がない人に興味を持ってもらうためには別の施策も含めていろいろな準備も必要なためです。
まさに馬と水辺の話なわけです。
どんなに喉が乾いていようとも、水を飲むのかどうするかはその馬次第、当人次第なわけなのです。
私を含めてチームは会社員ではないので、頑張らなければ収入はなし。
それでもやりたくないことにストレスをためながらやるのは違うんじゃないのか、だったらやりたいことをやったほうがより結果が出るんじゃないのか? ということで、1ヶ月眠っていた企画が速攻で動き出すことになりました。
まとめ
やらなくちゃいけない感で取り組まなくてはいけないことってたくさんあります。ただ、それをやり過ぎてしまうと、自分の欲を封じ込めやすかったり、禁欲生活が強過ぎてしまうと逆にやる気自体を失ってしまうことが多々あります。
また、不安などが強過ぎてもやる気や動機を削ぐ原因にもなるなと思っており、今の日本がかなりそれに近い形になっているのではとも想像しています。
人として生きている以上、できる限り貪欲に生きていきたいと思いますし、やりたいことのために生きていくという考えは、会社から独立したらより重要になりますので、欲は大事にして欲しいと思います。